北海道の名前の由来について [環境]
去年の終わりから札幌に住んでいますが、今更ながら、
北海道ってなんで1つだけ「道」なのかなって思ったので、調べてみました
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<北海道HPより抜粋>
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<いつから「北海道」という名称か>
明治2年(1869)8月15日の太政官布告で、
「蝦夷地(えぞち)自今(いまより)北海道ト被稱(しょうされ)
十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出(おおせいだされ)候(そうろう)事」
と周知されたそうです。
ちょうど、146年前の今日
これ以前は、「蝦夷が島」「蝦夷地」と呼ばれており、
「蝦夷」とは、華夷思想に基づく異民族の呼称。
華夷思想とは、中華思想ともいわれ、
古代中国で、自国・民族を「華」として尊び、
異民族を東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)・南蛮(なんばん)などと
称して卑しみ、しりぞけた思想だそうです。
日本にもその影響が及んでおり、
古代日本では、みやこを中心とする地域を「華」とし、
王権の及ばない地域を夷狄(いてき)として、征服を正当化する思想となっていました。
したがって、「蝦夷地」とは「異民族の住む地」
という意味のようです。
江戸時代後期以降、ロシアの進出に伴い、希薄だった北の境の概念を
意識せざるをえなくなり、いつまでも「蝦夷地」ではなく、
新名称をつけるべきであるという意見が多くなり、
明治になってから、北海道が日本の版図(はんと)であることが、
内外に宣言されたそうです。
<北海道という名前の由来>
幕末の探検家・松浦武四郎(たけしろう)という人が名付けたとされています。
6つの道名候補、日高見(ひたかみ)・北加伊(ほっかい)・海北・海島・東北・千島
をあげ、このうち「北加伊」の「加伊」を「海」と変更して
「北海道」となったとされています。
「加伊(カイ)」とは「夷(い)人」(アイヌの人)の自称だそうです。
「道(どう)」とは、律令国家の地方行政の基本区分で、
古代中国にならい、日本でも7世紀後半天武朝(てんむちょう)に成立し、
みやこに近い5つの国(山城、大和、河内、和泉、摂津)を『畿内五カ国』とされ、
それ以外を『7道』、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道
に分けられました。畿とは「みやこ」のこと。
この五畿七道の中に「北海道」という名はありませんでした。
時代をまぜてイメージで広さをまとめるとこんな感じみたいです。
「道」>「県」>「国」>「藩」
北海道と命名された時に、11カ国が設定されましたが、
「国」が独立した行政区域とされることはなく、
明治初年設置された「開拓使」という官庁の
管轄対象は、北海「道」という地域全体でした。
開拓使は、十年計画のもと開拓を推進し、計画が満了すると、
函館県、札幌県、根室県の3つの県が、北海道に誕生しました。
しかし、色々な批判の中、3県は廃止され、
再び北海道全体を管轄対象とした「北海道庁」が設置されました。
以来、北海道は全体で一つの行政区域となっており、
第二次世界大戦後は、北海道も他の都府県とならぶ
普通地方公共団体となりました。
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以上、北海道HPより、抜粋しました。
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北海道は、本州とはまた違う歴史が色々あるんですね
調べると奥深いですが、今日はこれでおしまいです
北海道ってなんで1つだけ「道」なのかなって思ったので、調べてみました
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<北海道HPより抜粋>
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<いつから「北海道」という名称か>
明治2年(1869)8月15日の太政官布告で、
「蝦夷地(えぞち)自今(いまより)北海道ト被稱(しょうされ)
十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出(おおせいだされ)候(そうろう)事」
と周知されたそうです。
ちょうど、146年前の今日
これ以前は、「蝦夷が島」「蝦夷地」と呼ばれており、
「蝦夷」とは、華夷思想に基づく異民族の呼称。
華夷思想とは、中華思想ともいわれ、
古代中国で、自国・民族を「華」として尊び、
異民族を東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)・南蛮(なんばん)などと
称して卑しみ、しりぞけた思想だそうです。
日本にもその影響が及んでおり、
古代日本では、みやこを中心とする地域を「華」とし、
王権の及ばない地域を夷狄(いてき)として、征服を正当化する思想となっていました。
したがって、「蝦夷地」とは「異民族の住む地」
という意味のようです。
江戸時代後期以降、ロシアの進出に伴い、希薄だった北の境の概念を
意識せざるをえなくなり、いつまでも「蝦夷地」ではなく、
新名称をつけるべきであるという意見が多くなり、
明治になってから、北海道が日本の版図(はんと)であることが、
内外に宣言されたそうです。
<北海道という名前の由来>
幕末の探検家・松浦武四郎(たけしろう)という人が名付けたとされています。
6つの道名候補、日高見(ひたかみ)・北加伊(ほっかい)・海北・海島・東北・千島
をあげ、このうち「北加伊」の「加伊」を「海」と変更して
「北海道」となったとされています。
「加伊(カイ)」とは「夷(い)人」(アイヌの人)の自称だそうです。
「道(どう)」とは、律令国家の地方行政の基本区分で、
古代中国にならい、日本でも7世紀後半天武朝(てんむちょう)に成立し、
みやこに近い5つの国(山城、大和、河内、和泉、摂津)を『畿内五カ国』とされ、
それ以外を『7道』、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道
に分けられました。畿とは「みやこ」のこと。
この五畿七道の中に「北海道」という名はありませんでした。
時代をまぜてイメージで広さをまとめるとこんな感じみたいです。
「道」>「県」>「国」>「藩」
北海道と命名された時に、11カ国が設定されましたが、
「国」が独立した行政区域とされることはなく、
明治初年設置された「開拓使」という官庁の
管轄対象は、北海「道」という地域全体でした。
開拓使は、十年計画のもと開拓を推進し、計画が満了すると、
函館県、札幌県、根室県の3つの県が、北海道に誕生しました。
しかし、色々な批判の中、3県は廃止され、
再び北海道全体を管轄対象とした「北海道庁」が設置されました。
以来、北海道は全体で一つの行政区域となっており、
第二次世界大戦後は、北海道も他の都府県とならぶ
普通地方公共団体となりました。
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以上、北海道HPより、抜粋しました。
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北海道は、本州とはまた違う歴史が色々あるんですね
調べると奥深いですが、今日はこれでおしまいです
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